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陣屋 V字回復した理由が衝撃的すぎる!?倒産まで半年・・・・陣屋をたった3年でV字回復させた奇跡の方法とは?

神奈川県秦野にある有名な鶴巻温泉を継ぎ3年で業績をV字回復させた驚きの方法が話題になっています!!

倒産から半年と言われていた、陣屋ですが一体どうやって業績を回復させたのでしょうか??

詳しく見ていきましょう!!

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陣屋 V字回復した理由が衝撃的すぎる!?

画像引用元:http://www.itmedia.co.jp/enterprise/

やはり宮崎夫妻のマーケティング経営術が功を奏したといえる内容ですね!!

大変感心しますし、マーケティングをしっかりと分析して研究すれば、

どんなに事業が悪化したとしても回復できるという事がよくわかりますね!!

まずは概要として少し長くなりますが参考記事をどうぞ!!

 神奈川県秦野市にある鶴巻温泉。熱海や箱根と同じく、都心から1時間程度でアクセスできる小さな温泉郷だ。戦後は首都圏の“奥座敷”として栄えたが、バブル崩壊などを経て、宿泊施設が激減した歴史がある。

この閑静な住宅街に囲まれた土地に、働き方改革の先端を走る老舗旅館がある。創業100年の「元湯 陣屋」だ。将棋のタイトル戦が行われることで有名なこの旅館は、最近では、業界では珍しい週休3日を実現し、自社開発のクラウド型旅館管理システム「陣屋コネクト」が、日本サービス大賞の総務大臣賞を受賞するなど、各方面から注目が集まっている。

今でこそ、旅館業におけるIT化のお手本のような存在になっているものの、10年前は「あと半年で倒産」というところまで追い詰められていた。そこからどのように復活を遂げたのか。代表取締役 女将である宮崎知子さんに聞いた。

10億円の負債を抱えていた「元湯 陣屋」 それでも後を継いだ理由とは?

 当時の陣屋は、バブル崩壊後から売り上げが下がり続けており、加えて病気などの理由で社長の交代が相次いでいた。

宮崎さんの夫である富夫さんは、もともと旅館を継ぐ気はなく、本田技研工業(ホンダ)で燃料電池を開発するエンジニアとして働いていたが、父が急逝し、母が病で倒れ、陣屋の経営者が不在となったことで、急きょ跡を継ぐこととなった。ホンダを退社する決意をするまで、2週間程度しか時間の猶予がなかったという。

当時は売り上げが回復するめどが立たず、何とかして陣屋を廃業しようと考えていたところ、リーマンショックで資産が10分の1に目減りしてしまう。多額の借入金を抱えていたこともあり、気が付けば負債が10億円にまで膨らんでいた。

「義母も病気になってしまい、自分では陣屋の幕を引くこともできない。そこで夫に話が回ってきたんです。最後の手段として考えていたM&Aを手伝ってほしい、というわけです。有名なホテルグループや旅館グループが候補になりましたが、そのほとんどが見学だけで破談になりました。当時、建物は老朽化していましたし、観光地としての魅力も乏しかったためだと思います」(宮崎さん)

そんな中、値を付けた企業が1つだけあったが、その額はたったの1万円。しかも買い取るのは運営権だけで、宮崎さんの借金が消えることはない。万事休す――そこで宮崎さん夫妻は「旅館を継ぐ」という驚きの選択をする。その理由は、ひとえに「息子を巻き込みたくなかった」ためだという。

「リーマンショックのような大不況が起こるとは思っておらず、義父の相続人に息子の名前も入れてしまっていたのです。正直、盛り返せるかどうか分からなかったですが、人に任せてもうまくいきませんでした――では、逃げることもできない。自分たちでやれば、いつ資金がショートするのかが分かるため、まだ対策がとれると思って引き受けました。義母には当初、相当反対されましたけども」(宮崎さん)

こうして、2009年10月に宮崎さんは4代目の女将に就任。社長となった夫と共に陣屋の経営を引き継いだ。しかし、運転資金はあと半年でショートするという状況で、短期間で業績を改善する必要がある。時間がない中、陣屋の経営を分析したところ、さまざまな問題が見えてきた。

売り上げもコストも「誰も何も分からない」

 売り上げの面では、まず顧客情報も営業情報も分からない。データ(と呼べるのかも怪しい)が入院している前女将の頭の中や営業担当の手帳にしかなく、全体像が把握できなかった。Webページも貧相だったため、当時増えつつあった個人旅行者へのアプローチもできない状況だった。

原価管理もずさんで、無駄なコストが膨らんでしまっていた。宿泊業の原価率は宿泊客数や宴会の有無で日々大きく変動するが、当時の陣屋は、食材費や人件費を月単位で管理していたため、指数を知りたくても、翌月末にならないと数字が出てこない。そのため、即時対応ができず、毎月原価率が激しく上下していたという。

そして、当時は社員20人に対して、アルバイトやパートが約100人いたため、月末まで人件費が分からないという問題もあった。売り上げの実績も紙で管理しており、社員の誰も予算を知らない。フロントの横にある模造紙に、日々の売り上げを記入する習慣はあったものの、単に書いているだけで、売り上げが長期的にどう動いているのか、など数字の意味を考えることすらなかったそうだ。

そこで宮崎夫妻はまず、120人の全社員にインタビューを行い、新たに旅館のコンセプト、つまり「社是」を決めた上で、それに沿う形で経営改善の方針を定めた。それは以下の3つだ。

1. 低稼働率、高単価(付加価値)への方向転換
2. “実験場”としての貴賓室活用
3. ブライダル事業をスタート

陣屋はこれまで1泊2食付きのプランを約1万4000円から提供していたが、個人旅行客に向けたクーポン割引などの値引き圧力に押され、2009年当時、最低価格が9800円にまで下がっていたという。しかし、値引いて稼働率を維持したところで受け入れ態勢が変わるわけではない。忙しくてももうからず、赤字は膨らみ、従業員が疲弊していくという負のスパイラルに陥ってしまった。

実の無い売り上げをいくら積み上げたところで、1万坪の土地に20室しかないのだから、これでは採算が取れるわけがない――そう考えた宮崎夫妻は、稼働率を下げてでも利益を優先する方針へ転換。6年後の2015年には、3倍の3万円にまで宿泊単価を高める目標を立てた。そのカギとなったのが、貴賓室だった。

陣屋を復活させた「F1」作戦

 陣屋には、明治天皇を迎えるために作られ、将棋のタイトル戦でも使われる「貴賓室 松風」がある。これを“おもてなしの実験場”として、一般客にも開放することにしたのだ。単価が高く、先進的な取り組みをいち早く取り入れる場所。ホンダのエンジニアだった富夫さんは、これをモータースポーツの「F1(フォーミュラ1)」に例えて従業員に説明した。フラグシップ(貴賓室)の開発に投資することで、そこで得た知見を量産型の自動車(一般客室)に生かしていくというわけだ。

そして、貴賓室活用にはもう一つの狙いがあった。これまで陣屋のパート従業員は、それぞれ「布団敷き」「部屋への案内」「見送り」といった単体タスクのみをこなす形で、リソースの使い方が非効率かつ柔軟性がない状況だった。それがパートの人数が膨らむ原因にもなっていたという。そこで、貴賓室については、チェックインから見送りまでの全てを1人で担当してもらい、スタッフのマルチタスク化とレベルアップを図った。

業務の効率化とともに事業の安定化も求めた。宿泊と日帰り温泉に加え、ブライダル事業を「3本目の柱」として確立させたのだ。歴史ある旅館ということもあり、これまで顔合わせや結納を年間80組ほど行ってきた実績があり、宮崎さんはここに活路を見出した。当時のメインバンクには「これから人口が減っていくのに、何を考えているんだ」と一喝されたが、それでも譲らなかったという。

「陣屋は『物語に、息吹きを。』というコンセプトを掲げており、物語をつなぐという意味でブライダルはぴったりだと考えました。お客さまとちゃんと話し合って作り上げる、皆さまに望まれるようなウエディングを自分たちから発信していく。あくまで温泉旅館であるという形を崩さないためにも、業者を入れずに自分たちでやらなければならないという思いもありました。主人は、従業員のみんなに『二輪よりも三輪の方が安定感が増す』と説明していましたね(笑)」(宮崎さん)

改革の方針は決まった。ただ、これを実現していくためには「情報の見える化」が不可欠だと宮崎夫妻は考えていた。売り上げもコストも「誰も何も分からない」状況では、従業員が主体性を持った動きもできないし、マルチタスク化の阻害要因にもなる。誰が対応しても一定のクオリティーを担保できること、そしてPDCAサイクルを月次から日次へと切り替えることが目標だったという。

「接客業だと思って入ってきたのに、1日の約8割がバックヤードの業務に追い立てられているような状況でした。この業務を圧縮して接客に注力しないと、クオリティーは上がりません。しかし、その接客も属人化してしまえば、担当者がいないときのサービスは総崩れになります。会社にとっての財産である情報を1カ所にまとめ、共有しなきゃいけないと考えました。もともとPDCAという概念すらないような職場でしたが、それによって改善活動もできますし、無駄な会議も減らすことができます」(宮崎さん)

とはいえ、それを単に「会議を止めよう」「頑張ろう」と言うだけではらちが明かない。従業員が頑張れる環境を整えるため、経営を支える基幹システムを導入しようと決めた。

田舎の一旅館が、2009年に「クラウド」を選択できた理由

 システムの要件として考えたのは、セキュリティやカスタマイズ性はもちろんのこと、資金ショートまで半年という状況下では、コスト面はシビアにならざるを得ない。そこで宮崎さんが考えたのは「使った分だけ支払う」という料金体系だ。

「もともとリース会社で働いていたので、システムの入れ替え時に面倒なことになる様子を見てきたんです。4~5年で減価償却が終わるころには、テクノロジーが大きく進歩していてOSも変わっている。そのままシステムを載せ換えることもできず、移行の作業費がムダに膨れてしまうのです。システム会社はもうかりますが、自分の会社という立場で考えれば当然イヤですよね(笑)」(宮崎さん)

旅館業であるため、ITリテラシーが高い人間が多いわけでもなく、サーバのお守りはしたくない……そう頭を悩ませていた宮崎さんに、夫の富夫さんが「クラウドでいけるじゃん」と声を掛けた。当時はまだメジャーではなかった技術だったが、海外の学会を聞きに行くなど、勉強熱心だった富夫さんはクラウドの可能性に気付いていたという。

当初は、自分たちの選定要件を満たしたサービス(ホテルシステム)を探していたが、旅館に求められるシステムはホテルともやや異なる。カスタマイズを繰り返すとコストが膨らむ上、時間もかかると判断し、自分たちで開発することを決めた。ちょうどその頃、たまたまフロント係に応募してきた人が、元SEという異色の経歴を持っていたことからすぐに採用し、システムの開発を依頼したそうだ。

「気分を変えて、別の仕事をするつもりで応募してきたという話だったのですが、システム開発の相談をしたところ、『それなら、もう一度エンジニアでやりたい』となりました。しかし、当時の陣屋は、正規エンジニアの給与で雇用するのが非常に難しい状況だったので、フロント係として採用し、夜勤の時間で開発をしてもらえないか、とお願いしました。むちゃな話だったと思うのですが、快諾してもらえました。給与に関しては、いわゆる“出世払い”という形です」(宮崎さん)

こうしてエンジニアも確保し、彼の提案でシステム構築にSalesforceを使うことも決まった。正月休暇に入っていた同社に連絡がついたのが、2010年の1月10日。2ライセンスを発行してもらい、その夜から早速システムを作り始めた。宮崎さんが陣屋の女将になってから、3カ月後のことである。

全ての情報を開示することで“フラット”な組織になる

 システム開発は順調に進み、2カ月後の3月には予約システムをリリースし「陣屋コネクト」と名付けた。「最低限の機能しかない、稚拙なシステムだった」とのことだが、システムを使い始めないことには、業務の改革も進まない。

システムにアクセスするデバイスとして、従業員にはiPadを配布した。ITに慣れない従業員に使ってもらうのは、難しい面もあったというが、勤怠管理システムがリリースされてからは状況が一変。ログインしないと給料が発生しないため、従業員全員がシステムを使うようになったという。

「誰にでも使いやすいよう、なるべく、タイピングではなくクリックベースで操作が進むように気を付けて開発しています。とはいえ、お客さまの基本情報や好物の料理、食べ物のアレルギー情報といった情報を入力するのは、どうしてもタイピングになってしまいますが。今でも継続的にバージョンアップを続けています」(宮崎さん)

情報を可視化した効果はてきめんだった。陣屋では、社員やパートにかかわらずスタッフ全員にライセンスを発行しており、情報開示のレベルも同じだ。パートでも売り上げや原価が分かる経営レポートから、会社の預金残高すら見ることができる。全ての情報が分かることで、「指示待ちの人間が劇的に減った」と宮崎さんは振り返る。

「旅館業というのは、どうしても予約係やフロントにお客さまの情報が集約しがちです。そうすると、そこから毎日指示が出るため、どうしてもヒエラルキーが生まれてしまいます。それがマルチタスク化の大きな弊害になってしました。他の仕事を頼むと『左遷されたの?』と感じてしまうような。組織をフラットに保とうと思うなら、情報格差をなくさないといけません。情報開示と組織の透明度は比例します。

接客係も清掃係もお客さまの情報が見られるので、自分から動く。『このお客さまはいつもゴミ箱をここに置いているから、あらかじめ動かしておこう』といった連絡事項が蓄積されていくなど、スタッフの主体性が上がりました」(宮崎さん)

宮崎さんはリストラはしないと決めていたが、こうした方針に合わなかったスタッフが陣屋から離れたり、高齢のスタッフが引退したりして、パートの人数は少しずつ減っていった。コストの削減とコントロールに加え、課題だった利益についても料理長と協力し、貴賓室利用の客に向けた高価なコースを作り、全体のラインアップを底上げしていくことで、平均単価を高めることができたという。こうした改革を通じ、2010年に2億9000万円にまで落ち込んだ売り上げは、2012年には4億円台にまで回復し、黒字に転換。就任から3年で文字通りのV字回復を成し遂げたのだ。

陣屋 V字回復 倒産まで半年・・・・陣屋をたった3年でV字回復させた奇跡の方法とは?

いやー本当に奇跡というか完全に戦略的マーケティングがバチッとハマっていたんだと思いますね!!

すべて緻密に考えぬいた結果なんですよね!!

このニュースを聞いたTwitterなどの声は・・・・・・

営業も経営も全て「見える化」が大事だと思う。 非常に分かりやすく客観的に判断できやるべき事が見えてきますね。素晴らしい改革だと思います。

そのとおりですね!!

うちの実家もそうだったが、ちゃんと帳簿つけて現状把握するだけで回復する親族会社って割とありそう。

合理的に説明することが出来ないことは”運”とされる。

“運”を呼び込むには、やっぱり”心意気”がないと繋がらない。

つまり、合理的な説明を真似ても上手くいかないんです。

真似て上手く行くならば、倒産・・廃業するところは無くなる。

V字回復を成功したのは、素晴らしいですね。

本当に素晴らしい結果ですね!!

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